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古原靖久の壮絶な生い立ちと家族(父親・母親・妹)のまとめ!現在の活動も!

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古原靖久 ゴーオンジャー

戦隊シリーズのヒーローや、あさいちリポーターでの活躍が印象的な古原靖久さん。

さわやかで好青年なイメージですが、実は児童養護施設出身で、その笑顔からは想像できないほど壮絶な生い立ちなんだそうです。

子どもの頃に過ごした児童養護施設のことや、家族(父親・母親・妹)のこと、そして現在の活動についてご紹介します。

この記事でわかること

  • 古原靖久の壮絶な生い立ち
  • 古原靖久の家族(父親・母親・妹)
  • 古原靖久の現在の活動

古原靖久の壮絶な生い立ちとは?

古原靖久さんが4歳の時、両親が離婚。

それからほどなくして児童養護施設に預けられますが、家族3人で暮らしていた頃も家庭環境が良いとは言えませんでした。

古原靖久さんの生い立ちを時系列で紹介します。

古原靖久の生い立ち(誕生から4歳まで)

古原靖久さんは1986年8月13日、京都府で誕生。

この時、母親は16歳。

父親の年齢はハッキリとはわからず、20歳くらいとのことです。

両親ともに夜の仕事をしていました。

ときどき母親の勤め先に一緒に行っていて、シャンパングラスにいちごポッキーが入っていた光景をよく覚えているそうです。

父親にはパチンコ屋に連れて行かれたり、古原靖久さんがこぼしたビールを飲まされたりしたとのことで、幼少期の思い出としては想像を絶します。

嫌われたくない一心で言われた通りにしていたと思うと、胸が痛みます。

他にも、何日もオムツを替えてもらえなかったり、大声で両親がケンカしているのを見たりと、育児放棄(ネグレクト)と言えるかもしれませんね。

そして古原靖久さんが4歳の時に両親が離婚します。

古原靖久の生い立ち(5歳から高校卒業まで)

母親と2人暮らし そして児童養護施設へ

両親の離婚後、古原靖久さんは母親に引き取られ東京都杉並区に引っ越します。

この時、母親は19歳。

古原靖久さんを夜間保育園に預けながら夜の仕事をしてましたが、そんな生活も大変だったようで、5歳から児童養護施設「聖友学園」に預けられることになりました。

最初は「また保育園が変わったのかな?」と思っていたものの、母親と一緒に家に帰るわけでもなく、会えるのは「面会」という形。

当初は面会によく来てくれていた母親も、それが半年に一度、1年に一度…と、だんだんと減り、とうとう小学校5年生の時に来なくなったそうです。

いつ来てくれるか待ちわびていたけど、来ない期間が2年ほど経ち、「自分は捨てられた」と気づいたそうです。

子どもながらに信じて楽しみに待っていた古原靖久さんを想像すると、言葉になりませんね。

児童養護施設での暮らし

古原靖久さんが暮らしていた児童養護施設は、とても厳しく怖いところでした。

20年以上前のことなので、そういう時代だったのかもしれません。

先生や先輩から理不尽に怒られたり、先輩に命令されたら友達と殴り合いのケンカをしなくてはいけなかったり…。

おかしいと思ったことでも「やるかやられるか」の世界だったので、やるしかないという状況。

ご飯の時も、先輩がお肉を食べてしまうのでベジタリアンみたいな食生活。

タンパク質は給食で摂取していたそうです。

そんな辛い児童養護施設での生活ですが、小学校3年生から6年生までの一定期間、「週末里親制度」という、子どものいない家庭で一緒に週末を過ごした時期があったそうです。

そのご家族は動物園などいろんな場所へ連れて行ってくれたり、自由にさせてくれたので毎週楽しみにしていたのですが、ご家族の方の体が悪くなり、いつしか終わってしまいます。

 

古原靖久の生い立ち(高校卒業後)

18歳になると施設から卒園の時期。

ただし就職や進学など、進路が決まっていないと卒園できません。

このままでは決まらないと思った施設の方が、こっそり住み込みの新聞配達の仕事を用意してくれていたのですが、自分の人生なのに勝手に話が進んでいたことが許せず、違う道を探します。

とにかく施設を出るため、特にやりたかったわけではないけど、前々からスカウトされていた芸能事務所に所属という形で施設を卒園。

卒園できたので芸能界は辞めようと思っていたら、『野ブタ。をプロデュース』、そして『炎神戦隊ゴーオンジャー』が立て続けに決まったそうです。

事務所に所属していきなりヒットドラマに抜擢されたり、主役になったりと、運や才能に恵まれていたのですね!

古原靖久さんの活躍を見て、施設の子どもたちが「ヤスが目の前でめちゃくちゃ頑張ってる、だからヤスみたいになりたい」と言ってくれて、「人に認められた。必要とされた。」という実感が持てたそうです。

まさに人に夢を与える職業ですね!

 

古原靖久の家族(父親・母親と妹)について

古原靖久の父親

古原靖久さんは両親の離婚後、父親とは中学生の時に会っています。

でも会えば「勉強しろ」と怒られたそうです。

古原靖久さんとしては、昔ヤンチャだった父親に言われたくない思いもあり、ケンカ別れしてしまいます。

自分のようになってほしくない親心なのかもしれませんが、もっと寄り添ってくれたら関係は変わっていたかもしれませんね。

その後はもう会ってないそうです。

古原靖久の母親

古原靖久さんの母親の名前は「アキコ」さんです。

古原靖久さんが32歳ごろ、おそらく48歳の若さで病気が原因で亡くなっています。

とてもきれいな方で、古原靖久さんの整ったお顔立ちは母親譲りなのかもしれません!

引用:文春オンライン

15歳で妊娠、16歳で出産したので、戸惑いや苦労はあったと思います。

とはいえ小学5年生で我が子を捨てるのが仕方ないとは言えませんが…。

でも古原靖久さんはそんな母親に対して、恨んでいるかというとそうではなく、堕胎をせずに出産してくれて、感謝しているそうです。

もちろんそう思えるようになったのも年齢を重ねたからこそですが、母親に見つけてほしいという思いから「古原靖久」という本名で活動していました。

そして本当に母親は気づいていて、『ゴーオンジャー10YG』の舞台挨拶も見に行っていたそうです。

でも会う資格はないからと、遠くから見守るだけ。

切ないですが、頑張っている息子が見られて、本当に嬉しかったでしょうね。

母親が応援してくれていたこと、亡くなったことなどは、母親の姉である叔母からの連絡で知ったそうです。

「ちゃんと気づいてくれてたんだね。良かったね!」と簡単に言える話ではありませんが、自分を忘れずに応援していてくれたことには救われたのではないでしょうか。

古原靖久の妹

古原靖久さんの妹は「由理亜(ゆりあ)」さんで、古原靖久さんより12歳年下。

父親が再婚した妻との子どもなので、母親が違う兄妹となります。

古原靖久さんのSNSにもたびたび登場していて、仲が良さそうです。

由理亜さんも芸能界に入る可能性はあるかもしれませんね。

古原靖久のプロフィールと現在の活動

古原靖久さんのプロフィール、そして現在はどのような活動をされているのか、調べてみました。

古原靖久のプロフィール

古原靖久のプロフィール

本名:古原 靖久(ふるはら やすひさ)

生年月日:1986年8月13日

出生地:京都府

出身地:東京都杉並区

身長:180cm

血液型:O型

星座:しし座

サイズ:T-180 S-28

趣味:ウォーキング

好きな漫画:ドラゴンボール

所属事務所:フリー(キャストパワーと業務提携)

高校卒業後、祖父の知人からの紹介でハーキュリーズに所属。

テレビドラマ『野ブタ。をプロデュース』の和久井拓三役でデビューし、その後、たくさんの番組に出演しています。

中でも初主演のスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』のゴーオンレッド役は有名ですね!

2021年12月31日にハーキュリーズを退所し、現在はフリーで活躍中。

最近では、児童養護施設で暮らしていた経験をYouTubeや講演会で発信しています。

古原靖久さんは幼少期、親に甘えるどころか、わがままも言えずに厳しい環境で育ちました。

頼れる人もいなかったそうで、一番甘えたい時や、悩み多き年頃だった時に本心を話せる人がいないのは辛すぎますよね。

でも「そのおかげで生き抜く力が身に付いた」と話しています。

そんな古原靖久さんが大人になってヒーローとなり、子どもたちに元気や勇気を与える立場になろうとは…。

とても強くて優しい方なんですね。

これからも芸能活動や講演会などでの活躍を期待したいです!

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